PICKUP日本酒 獺祭 (山口県/旭酒造)

 

 

獺祭を造っているのは、山口県岩国市の山里にある旭酒造。昭和23年に設立された酒蔵です。
旭酒造の所在地である「獺越」の由来は「川上村に古い獺がいて、子供を化かして当村まで追越してきた」ので獺越と称するようになったと言われており、この地名から一字をとって「獺祭」と命名されました。
獺祭の言葉の意味は、獺が捕らえた魚を岸に並べてまるで祭りをするようにみえるところから、詩や文をつくる時多くの参考資料等を広げちらす事をさします。


「酔うため 売るための酒ではなく 味わう酒を求めて」をコンセプトに高精米の純米大吟醸酒をメインとして世界中で愛されています。

 

 


現在の獺祭の土台を作り上げたのは三代目社長である桜井博志氏(現・会長)です。
しかし、いきなり獺祭が全国で有名になった訳ではありません、1984年に父親の逝去により社長となった桜井氏は「目にもの見せてやろう」と意気込んで新酒として獺祭を造りました。
獺祭は当初順調に売り上げを伸ばしていきましたが、桜井社長はもう一つの支えが欲しいと更なる挑戦として1999年3月に錦帯橋の河畔に地ビールレストランをオープンしました。
何億円も掛けて投資した醸造設備、レストラン。しかしレストランはオープン後わずか3ヶ月で撤退、地ビールも数年で醸造を終了しました。

 

 


それまで桜井社長はある意味奇抜な発想で様々なお酒にチャレンジをしていましたが、多くの負債を追い窮地に立たされて改めて獺祭の酒造りを考えた際に感じたことは。
「全量山田錦」契約栽培農家から購入した全量山田錦仕様の純米大吟醸を造る。
「米の磨きにこだわりぬく」自社精米で米を丁寧に時間をかけて高精米を目指しました。山田錦を精米歩合23%を磨くのに168時間かけており、それは今でも変わりません。

「毎月飲める」高精米の純米大吟醸でありながら、低価格で毎月飲めるような、飲み手にやさしいお酒を目指す。
それに伴い普通酒や紙パック酒の製造を廃止しました。小さな蔵の強みを活かし、小規模な仕込みでないと高品質が保ちにくい純米大吟醸に特化していきます。

 


倒産してもおかしくない中、獺祭が売れるために何をすればよいのか……テレビCM、広告、新しい事業、様々な考えがありましたが桜井社長が考えたのは「杜氏を無くす」事でした。
杜氏の経験と勘を徹底的に数値化しデータ化することで、杜氏なしでの酒造りを実現させました。


そして「問屋流通の廃止」、獺祭を売ってくれる酒屋と直接取引を行い販売する方法。当時は販売を手助けをしてくれる問屋を無くすというのは批判的な意見が多かった中、結果的には無駄な経費などが減り売上は上がりました。
さらに改革は続きます酒蔵に空調設備を完備し、温度・湿度を調整できるようにした結果、冬期に限らず一年を通して酒造り「四季醸造」が可能になり生産能力が上がりました。
これにより旭酒造は一定期間だけ社員を雇うのではなく、一年間、それも酒造りの経験が無い人でも雇える雇用形態となりました。


そう、売上を伸ばすのではなく、どうすれば一年を通してクオリティの高い日本酒を造るか考え行動した結果、売り上げは上がり、酒質はさらに向上していったのです。

 

 


ある日、獺祭が多くのメディアに注目されました。アメリカのオバマ大統領が来日した際、同じ山口県出身である安倍総理が獺祭をプレゼントをしたのです。


フルーティーで飲みやすく品のある味わいだとテレビの取材も増えました。当然多くの方が獺祭を飲みたいと問い合わせは殺到、取引を始めたいという酒屋も後を経ちません。
さらに当時海外進出を始めていた旭酒造は海外メディアにも取り上げられ、まさに世界に知られる獺祭へとなっていきました。
しかしここで思ってもいない事態が起こりました。
急な人気の向上により供給が増え市場から獺祭が消え始めたのです。
お店では御一人様一本や抽選販売が行われ、インターネットではプレミア価格で蔵の意図している手に取りやすい価格とは程遠い高値で取引されていたのです。
これは危惧すべき状況だと判断した桜井社長は2015年に本社工場を12階建てへと新築を行い、基本的な作業はデータ化された従来のまま生産能力を3倍まで伸ばし、定価販売出来る需要に合わせた供給が出来るようにしました。

 

 


現在、獺祭は海外でも30店舗以上で購入することが出来ます、飲めるお店は100店舗以上。旭酒造が始めた遠心分離機を使用した搾り方は旭酒造以外の蔵元でもスタートしています。
旭酒造が培った醸造技術は日本を超えて多くの人々に親しまれるようになりました。
そんな中、2018年夏に西日本豪雨が旭酒造本社を直撃し、仕込み中のお酒は停電により温度調整ができなくなったため通常出荷が出来ない事態に。


一階部分は浸水により機能停止、さらに土砂崩れにより近くの橋は壊れ、道路も車が走れない状況に。被害額は推定15億円。
不幸中の幸いはタンクが無傷で温度管理は出来なかったとはいえ、日本酒として十分飲める味わいだったこと。
しかしこれを獺祭として出荷するわけにはいかない……そこで旭酒造は一本数千円する酒から3万円以上するものまでをランダムでボトリングして、漫画家弘兼憲史氏がラベルをデザインした復興支援酒「獺祭 島耕作」として格安の1,200円として販売したのです。


橋の架け替え工事には一億円以上も出資をし、地元の復興に惜しまない支援を行いました。


ある時は農家を助けるために、本来であれば仕込みに使えないランクのつかない「等外米」を買い取り、高精米で醸造することにより味わいのある「獺祭等外米」として販売したり。
新型コロナウイルスによる影響で日本酒の消費が落ち込む中これまでにない「オンライン飲み会」という企画を蔵元で開き、世界中の獺祭ファンとテレビ電話によるイベントを開催したり
外出自粛に伴う飲み会が減るなか、「#ひとり獺祭の会」として獺祭をプレゼントするという企画を打ち出しました。

こうした、世界中の皆が楽しく美味しい日本酒を味わえるように、絶え間ない研鑽した技術で醸し続けている獺祭はこれからも慣例には囚われない自由な発想で愛され続けるはずです。